灯台とスプーン 第四回公演「藪に坐る人」

11/19最終回を観劇。灯台とスプーンさんの演目は初見。演劇の評の言語を持たないので、とりあえず思ったままに書く。

舞台に関係ないところから始めると、朝からくそ寒い日だった。吉岡太朗さんの歌の「ハーゲンダッツ くそさむいのに」を唱えながら歩く1日だった。実は昼過ぎから『もう一人の息子』という映画を天神で見ており、そこからばたばたと移動。久々にnimocaへチャージ、ついでにポイント交換をして、西鉄電車西鉄バスに乗る。最寄りのバス停を降りるとそばにスーパーマーケットの「マルキョウ」があり、帰りはここで買い物をしようと決める。会場までの一本道は、寒さに耐えるため肩をすくめながら歩いた。

会場は自由席で「パンフレットがあるところにお座りください」と言われる。公演案内には主宰の田村さんの文章がこうあった。

昨年の公演から、演劇をどんなふうに続けて行きたいのか少しずつわかってきたというか、これから先も普通に、生活するみたいにつづけていくんだろうなと思っています。(中略)さらに「世の中に演劇がなくたっていい」人もきっと確実にたくさんいて(中略)それでも自分の生活を使って演劇を続けていく人たちにとって、なにが嬉しいことなんだろうか、どうあったら幸せなのか。

最近「生活」という語のことを強く考えるようになっていて、自然と行きしなのマルキョウのことが浮かんだ。劇をみた帰りにスーパーに寄って夕飯の買い出しをする。まぎれもなく生活だなあと思う。

作品の舞台は、魔女と人間が軋轢を抱えつつ共存している世界。両種族が仲良くすることをよしとされない環境で、友人関係にあるポジティブな魔女見習いと引っ込み思案な人間の少女ふたりが、ひょんなことから伝説の魔女を復活させてしまう。魔女の活動をおそれた人間により、再び世界が断絶し、ふたりの少女も離れ離れに。

書き出すとよくある舞台設定のような気もするが、筋が途中で読めてしまうということがあまりなくて、正確に言えば先読みする隙がなかった気がする。あらためて思い返すと、かなりファンタジックな世界だったはずなのに、ファンタジー特有のふわふわとした感じがなく、なんでだろうなあと考えたら、やはりそこに生活の質感が描かれていたこと、それを役者さんが演じきったこと、にあるんじゃないかと思った。

舞台の一番の魅力は、やはりライブであることと作品の生の質感を同じ空間で五感をフルに使って共有できることで、それは活字媒体ではほとんど不可能なことだと思うと、打ちのめされたような気持ちになってしまう。

作品に組み込まれる、私たちの普段の生活にもある欺瞞だったり経験だったり体験がさまざまにあり、すごくリアルだと思った。

ただこの作品がやはりフィクションである、と指摘するなら、それは「永遠の絆」の存在だと思う。なにがあっても変わらない強固な関係性、かたい信頼関係がもたらすカタルシスに観客は安心して結末をむかえたと思う。ここは現実と一線を画すところ。

個人的に好きだったシーンは、風に乗って空を飛んで移動する場面。身体表現がすごくよかった。いいな。わたしも空を飛びたいと思う。

感情ひとつひとつが刺さりすぎて、けっこう泣いてしまった。

終演後、物販でポストカードを一枚。帰りはちゃんと「マルキョウ」で夕飯の食料を買って帰った。セミセルフレジだった。生活。